LOGIN第32話 1592年情勢
本能寺の変から十年の歳月が流れた。
時は1592年。
織田信長は五十九歳となり、正一位征夷大将軍として日本国の頂点に立っていた。
もっとも、天下を統一した信長の目は、すでに国内ではなく海外へ向けられている。
信長は肥前に名護屋城を築き、海外交易の拠点とした。港には日本各地から運ばれてきた品々が積み上げられ、西洋や明国、南方諸国から訪れた商船が絶えず出入りしている。
海外には、信長が友好的な交渉によって購入した港や島がいくつも存在した。それらは日本国の領地として整備され、遠洋航海を行う船にとっての寄港地となっている。
武力によって国を奪うのではなく、港や島を買い取り、交易拠点として発展させる。それは龍之介が信長へ進言した、友好的な海外進出の形だった。
琉球もまた、信長直属の属国という立場になっていた。
しかし、一方的に搾取されているわけではない。日本からは米が運ばれ、琉球からは砂糖をはじめとする南方の品々が買い取ら
第35話 嵐山城・近江八幡城・二条城・禁裏城 織田信忠から持ち掛けられた領地替えを龍之介が断ったことで、嵐山と近江八幡の二つの飛び地は、否応なく全国の大名から注目を集めるようになった。 信忠は、離れた領地を一つにまとめたほうが統治しやすいという理由を挙げて、嵐山と近江八幡を下野と交換するよう求めた。しかし、龍之介が二つの領地を大切にしていたのは、単に思い出深い土地だったからだけではない。 嵐山城と近江八幡城は、京の都と安土を守ると同時に、織田宗家の動きを見張るための重要な城でもあった。 ◇ 山城国にある嵐山城は、烏ヶ岳の地形を利用して築かれた山城である。 龍之介が転生したばかりの頃、そこにあったのは、閻魔ちゃんから与えられた一風変わった屋敷だった。瓦葺きの二階建てで、屋根には金色の鯱が載せられ、公家の住まいというより小さな天守のような外観をしていた。 しかし、龍之介が左大臣となり、領地と家臣が増えるにつれて、屋敷は幾度も増築と改修を重ねた。 烏ヶ岳の斜面には石垣と土塁が築かれ、複数の曲輪が同心円状に本丸を取り囲む輪郭式の城塞となった。桂川から水を引くための水路も整備され、その水は城の堀へ流れ込んでいる。 山城でありながら水堀を備えた嵐山城は、攻める側にとって極めて厄介な城だった。 城の周囲を流れる水は防御に使われるだけでなく、物資を運び込むための水運にも利用されている。城内には長期間の籠城に耐えられるだけの兵糧庫、武器庫、井戸があり、要所には大砲まで据え付けられていた。 その規模は山城国最大であり、当時の二条城をはるかにしのぐ大城塞となっていた。 本丸には、龍之介が好んでいた望楼型天守がそびえている。 実用性だけを考えるのであれば、構造を単純にして上へ積み重ねる層塔型天守を選ぶこともできた。しかし、龍之介は嵐山から眺める京の景観を損なうことを嫌った。「都の近くに、見慣れぬ形の巨大な天守を建てれば、寺社や公家から不満が出よう。昔ながらの望楼型であれば、多少は周囲の景色にもなじむはずだ」 龍之介はそう考え、外観
第34話 信長の太政大臣 1593年、織田信長は六十歳を迎えた。 戦乱の世を終わらせ、日本を統一した信長は、征夷大将軍の職を嫡男の信忠へ譲る決意を固めた。海外交易の拠点である肥前名護屋城と安土を行き来しながら、これからは幕府の日常的な政務を信忠に任せ、自らは日本の外へ目を向けようと考えたのである。 朝廷も信長の意向を受け入れた。 信長は征夷大将軍を退き、新たに正一位太政大臣へ任じられた。太政大臣は実務を伴わない名誉職に近い地位であったが、天下を統一した信長にふさわしい、臣下として最高の官位である。 そして信忠には、新たな征夷大将軍への就任が認められた。 ところが、信忠がそれまで務めていた関白との兼任については、朝廷から許しが下りなかった。 任官を告げる御所の広間では、公家や武家の重臣たちが居並ぶ中、帝の側近が厳かな声で宣旨を読み上げていた。「従一位関白織田信忠を、征夷大将軍に任ずる。以後、安土幕府を率い、武家を統べ、国の安寧を守るように」 信忠は深く平伏した。「謹んでお受けいたします。亡き先人たちの働きを無駄にせぬよう、父・信長の志を継ぎ、天下万民の安寧に尽くす所存にございます」 返答は落ち着いており、新たな征夷大将軍として申し分のないものだった。 しかし、その後に続いた宣旨を耳にした瞬間、信忠の表情がわずかに強張った。「正二位左大臣藤原朝臣三上龍之介正圀を、従一位に叙し、関白に任ずる。帝を補佐し、公家と武家の間を取り持ち、引き続き国家平定に尽力せよ」 龍之介もまた、静かに平伏した。「身に余る御役目にございますが、謹んでお受けいたします。朝廷と幕府が互いに争うことなく、民が安心して暮らせる世を守るため、力を尽くしてまいります」 こうして信忠は征夷大将軍となったものの、関白との兼任は認められず、その職は龍之介へ与えられた。 朝廷が龍之介へ寄せる信任は、極めて厚かった。 帝の落とし胤であるという出自だけではない。龍之介は左大臣として朝廷と幕府の間を取り持ち、戦乱を終わらせるために尽
第33話 伊達・最上との密約 陰陽道によって自らの運命を占った龍之介は、織田信長の死後、信忠と戦うことになる未来を知ってしまった。 それが必ず訪れる未来なのか、数ある可能性の一つにすぎないのかは、龍之介にも分からない。だが、妻や子供たち、そして領民の命が懸かっている以上、ただ座して成り行きを待つわけにはいかなかった。 だからといって、今すぐ兵を増やせば、かえって信忠の警戒を招く。茨城国は実質四百万石の富を持ち、鉄甲船と西洋備えを有している。これ以上あからさまに軍備を拡張すれば、謀叛を疑われても不思議ではない。 龍之介が選んだのは、信頼できる同盟勢力を増やすことだった。「影鷹はおるか?」「はっ、ここにおります」 水戸城の一室で龍之介が呼びかけると、背後から何の前触れもなく声が返ってきた。 慣れているはずの龍之介でさえ、思わず肩を動かしてしまう。「相変わらず、そなたの現れ方には驚かされる。少しくらい足音を立てても罰は当たらぬぞ」「忍びが足音を立てて近づいては、御役目を果たせませぬ」「それもそうなのだが……まあよい。伊達政宗殿と最上義光殿へ、密かに使者を送ってもらいたい。幕府に知られぬよう、直接会って話したいことがあると伝えてくれ」「御意。ところで殿、お二方から届いている側室の縁談については、いかがなさいますか?」 龍之介は、しばらく返事をせず、庭へ目を向けた。 これまでにも各地の大名から、娘を側室に迎えてほしいという申し出が数多く届いていた。左大臣であり関東管領でもある龍之介と縁戚になれば、朝廷と安土幕府の双方へ太い縁を持つことができる。 しかし、すでに龍之介には正室の歩美をはじめ、複数の側室がいた。これ以上妻を増やすつもりはなく、縁談はすべて断ってきたのである。 それでも、これから結ぼうとしている盟約を確かなものにするには、婚姻という形が最も強い。「伊達家からは輝宗殿の娘、すなわち政宗殿の妹御を。最上家からは義光殿の娘を迎える。政略のために娘御たちを利用するようで、心
第32話 1592年情勢 本能寺の変から十年の歳月が流れた。 時は1592年。 織田信長は五十九歳となり、正一位征夷大将軍として日本国の頂点に立っていた。 もっとも、天下を統一した信長の目は、すでに国内ではなく海外へ向けられている。 信長は肥前に名護屋城を築き、海外交易の拠点とした。港には日本各地から運ばれてきた品々が積み上げられ、西洋や明国、南方諸国から訪れた商船が絶えず出入りしている。 海外には、信長が友好的な交渉によって購入した港や島がいくつも存在した。それらは日本国の領地として整備され、遠洋航海を行う船にとっての寄港地となっている。 武力によって国を奪うのではなく、港や島を買い取り、交易拠点として発展させる。それは龍之介が信長へ進言した、友好的な海外進出の形だった。 琉球もまた、信長直属の属国という立場になっていた。 しかし、一方的に搾取されているわけではない。日本からは米が運ばれ、琉球からは砂糖をはじめとする南方の品々が買い取られている。 さらに、海路に精通した琉球の船乗りたちは、信長の海外渡航に欠かすことのできない協力者となっていた。 信長は戦による征服ではなく、交易によって日本の勢力を海の向こうへ広げていたのである。 ◇ その頃、水戸城の一室では、龍之介が大きな日本地図を広げていた。 地図の上には、大名の配置や領地を示す札が並べられている。 先日、陰陽道によって自らの未来を占った龍之介は、信長亡き後、信忠と争う可能性を知った。 もちろん、それは数ある未来の一つにすぎない。今の段階で信忠を敵と決めつけるつもりはなかった。 しかし、何も知らなかったことにはできない。「宗矩、各地の情勢を改めて確認しておきたい」「はっ。すでに主だった大名については、報告をまとめてございます」 柳生宗矩が龍之介の向かいに座り、書状の束を広げた。 天下は平定されている。 それでも、日本全土を見渡せば、織田宗家と
第31話 正二位左大臣関東管領職藤原朝臣三上龍之介正圀 龍之介がこの時代へ転生した際、閻魔ちゃんから与えられたものは十個あった。 この時代に合った衣服、名刀・童子切安綱の大小、伊達政宗の甲冑を模した黒漆塗五枚胴具足、前世の一千万円に相当する金子、弾丸一万発とともに与えられた回転式拳銃、同じく一万発の弾丸を備えた高性能ライフル銃、料理を極めた美少女の嫁、剣術を身につけた忍びの部下、天下三名槍の一つである蜻蛉切、そしてウォシュレットを備えた洋式便所である。 その一つ一つが、転生後の龍之介の人生を大きく支えてきた。 童子切安綱と蜻蛉切は戦場で龍之介の命を守り、拳銃とライフルは火縄銃しか知らない敵を驚かせた。黄金は城や船を造る資金となり、忍びの影鷹は人知れず龍之介と家族を守り続けている。 料理を身につけた嫁という願いも、織田信長の娘である歩美との縁として実現し、ウォシュレット付きの洋式便所に至っては、戦国時代で暮らす龍之介の心を何度となく救っていた。 転生した当初の龍之介は、従三位権中納言、藤原朝臣三上龍之介正圀という名を持つ、二十歳の青年だった。 帝の落とし胤であることは公然の事実であったが、皇位継承権はない。中流公家である藤原三上家の嫡男として育ちながら、帝の実子であるため特別に拝謁を許されていた。 龍之介には兄を慕う二人の妹がおり、自身には剣術だけでなく、陰陽道の力も与えられていた。 それが、この世界へ降り立ったときの初期設定である。 あれから十年の歳月が流れていた。 二十歳だった龍之介は三十歳となり、今では正二位左大臣兼関東管領、藤原朝臣三上龍之介正圀と名乗る存在になっている。 本能寺の変を防ぎ、織田信長の命を救ったことから始まり、朝廷と織田家を結び、天下統一に協力した。小田原攻めでは自ら兵を率いて北条家を降伏させ、常陸を中心とする広大な領地を与えられた。 その領地は茨城国と名を改め、実質四百万石を超える豊かな大国へ成長していた。 龍之介に救われた信長も、五十九歳となっている。 天下統一を成し遂げた信長は、関白職と織田宗家の
第30話 茨城国運営 常陸、磐城、下総、上総、安房を束ね、領地全体の名を茨城国へ改めた龍之介は、南北に長い国土を一つにつなぐ街道の整備へ力を入れた。 どれほど農地を広げ、港や鉱山を開発しても、そこで生まれた品を運べなければ国は豊かにならない。北の磐城で掘り出した石炭を日立や鹿島の造船所へ送り、房総で取れた魚や塩を水戸へ運び、内陸で収穫した米や野菜を港町へ届けるには、人と荷が安全に行き来できる道が必要だった。 龍之介は、領内の主要な町と城を結ぶ道を広げ、橋を架け、雨が降っても荷車が泥へ沈まないよう、場所によっては砂利や砕いた石を敷かせた。 その中でも特に重視したのが、磐城から常陸を通り、房総半島へ続く海沿いの街道である。 龍之介はこの道を「陸前浜街道」と名づけた。 人や荷を運ぶ幹線道路であると同時に、海辺の集落を守るための境界線として利用する考えだった。「陸前浜街道より海側には、新たな住居を建てることを禁ずる。すでに海辺へ家を構えている者については、順次、街道より内陸か、高台へ移ってもらう」 水戸城から触れが出されると、沿岸の村々では困惑と反発の声が上がった。 漁師にとって海の近くに住むことは、単なる好みではない。夜明け前に船を出し、漁を終えれば、すぐに魚を運び込まなければならない。網や船具を修理するにも、海から離れた場所では不便が多かった。 先祖代々暮らしてきた家を、理由も分からないまま移せと言われれば、不満を抱くのは当然である。「新しい御領主様は、我ら漁師に海へ近づくなと仰せなのか」「港から離れた高台へ住んだのでは、毎朝、船まで歩くだけで日が昇ってしまう」「城や街道を造るために、浜の土地が欲しくなったのではないか」 そのような声が家臣から報告されると、龍之介は領民を命令だけで従わせようとはしなかった。「海で暮らす者が不満を抱くのは当たり前だ。城から触れを出すだけで納得しろというほうが無理であろう。私が直接、村へ行って話す」 家臣たちは、関東管領であり正二位左大臣でもある龍之介が、一つ一つの漁村へ出向く必要は







